リコリス ( 彼岸花 )

  • 2012.10.06 Saturday
  • 14:58
どら にフラれてトボトボ (笑) 歩いていたら、彼岸花を見つけました。
本来、彼岸の頃の短い時期に咲く花のはずが、
今年の開花はちょっとずれているのかな。

そういえば最近、あちこちの庭先で、彼岸花を目にするようになりました。

古いタイプの人間なので、彼岸花(曼珠沙華)は、「普通の家の庭先には植えてはいけない」と、教わって育ちました。
大昔、土葬だった頃に、害獣からお遺体を守る為に墓地に植えられたとも聞きました。お寺でよく見かける花で、彼岸花というネーミングからして、霊にまつわるイメージもありました。薄暗い湿気た場所に似合う様子も、敬遠される理由かも知れません。

しかし最近では、観賞用に人気があるそうで、品種改良されたピンクや白い彼岸花が“リコリス”というお洒落な名前で、売られています。

彼岸花が、忌み嫌われたのは昔の話なのかも知れません。

※ クリックすると大きな画像になります。

水稲荷神社

  • 2012.09.11 Tuesday
  • 18:54
甘泉園公園の隣に、水稲荷神社があります。
天慶4年(941年)俵藤太秀郷朝臣が旧社地の富塚の上に稲荷大神を勧請し、古くは「富塚稲荷」「将軍稲荷」と言われました。江戸中期境内の大椋に霊水が湧き評判を呼んだことが、名前の由来の一つだそうです。

【堀部安兵衛の碑】
「おっとり刀で駆けつける」という表現で御馴染みの
『堀部安兵衛の碑』がありました。

筋書きは、ざっくり言うとこんな感じ。
叔父・甥の契りを交わした管野六郎左衛門が決闘を行うと聞いた中山(堀部)安兵衛は、「すわ一大事」とばかり慌てて高田馬場に駆けつける。途中、酒屋に立ち寄り景気付けに枡酒をガブガブガブと三口で飲み干し、刀の柄にブワーッと霧吹きして、おっとり刀で駆けつけるやいなや3人を斬り倒した、というもの。
いかにも江戸っ子が好きそうな話。

「おっとり刀」というのは、刀を鞘におさめるのも もどかしく、手に持ったまま走る様をいう言葉。
“ おっとり ” から “ ゆっくり ” を連想する人がいるけれど、逆なんだわね。(笑)

この決闘で活躍した安兵衛が江戸中に評判になって、後に講談や芝居の題材になりましたが、いつのまにか3人斬りが18人斬りに盛られてしまいました。
安兵衛は、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)切腹後、吉良邸に討ち入った功績が称えられ、明治43年(1910)に『安兵衛の石碑』が建立されたんですが。旧高田馬場、現在の茶屋町通りの一隅にあった石碑は、昭和46年に現在の水稲荷神社の移されたんだそうです。

堀部安兵衛が酒を飲んだという酒屋『小倉屋』さんは、江戸時代から320年続く老舗で現在も営業中。
当時の枡も、大切に保管されているそうです。
これが、その枡


【太田道灌 駒繋松(こまつなぎまつ)】

山吹の里で狩をした太田道灌が、馬とつないだ松と云われています。でも三代目と書いているので、ハッキリ言っちゃえば、道灌様が馬をつないだ松とは、全然関係ないのよね。(笑)

太田道灌にまつわる話は他にもあって、ひとつは『道灌つかみさしの榎』という話。

これは水稲荷神社の名前の由来にもなっていて、あるとき太田道灌は、狩の記念にと、採取した榎を冨塚古墳のそばに植えました。後に この話を聞いた関東管領の上杉良朝が、この榎をご神木として稲荷神社を再興しました。元禄15年(1702)道灌が植えた榎の空洞から霊水が湧き出し、この水で眼を洗ったところ、眼病がたちまち治りました。これが江戸市中で大評判となり、多くの人に親しまれるうちに『水稲荷』とよばれるようになりました。というもの。
現在でも『水稲荷神社』は、水商売や消防にご利益があると言われているそうです。

最後にもうひとつ、『七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだに なきぞ悲しき』の古歌で知られる逸話ですが、これも一説では高田馬場が狩場だったと言われています。

内容は、こんな感じ。
鷹狩に出かけていた道灌が俄雨にあい、とある農家に立ち寄って雨宿りした際、蓑を貸して欲しいと頼んだところ、出てきたその家の少女が、庭に咲いていた今を盛りの山吹を一枝切って差し上げました。

道灌は、これを不快に思って帰還しましたが、後に、老臣から、その少女が古歌「山吹の歌」に事寄せたものであることを諭され、自らの無学を恥入り、それ以来、和歌の道に励み、その道の達人になったという話です。

山吹の『実』と、蓑(みの)をかけて、「ウチは貧乏で、お貸しする蓑もないことを悲しく思います。」ということなんだそうです。
しかし、この話の舞台となった里は、早稲田の他にも、荒川区の町屋だとか、神奈川県の六浦だとか、色々な場所があがっているそうです。桃太郎伝説とか、卑弥呼とかと同じなんですかね。

【移設されてきた遺跡】
水稲荷神社の旧社地は、現在の早稲田大学9号館の裏手にありまして。早稲田大学の拡張に伴い、神社は現在の場所に引越したのです。それと同時に境内にあった富塚跡や高田富士塚跡などの遺跡も全部移築されて復元公開されたんですって。

堀部安兵衛の石碑も、元は違う場所にあったわけだし。その他、現水稲荷神社の境内にある『三島神社の石の小祠』も『北野神社』も『聴松亭』だって、他所からここに移されたものだし、神社の名前の由来である“霊泉の湧水”も、この地に湧き出したワケではない。考えてみると、色々なご利益あるものが集結した素晴らしい神社と言えるのではないかしら。
水稲荷神社
新宿区西早稲田3-5-43
TEL:03-3200-4621

甘泉園公園

  • 2012.09.11 Tuesday
  • 10:47
腕の良いリハビリの先生がいると聞いて、大塚にやってきました。
鎌倉に行ってから、あちこち痛くなっちゃったものだから…。
診察して下さった院長先生は凄く丁寧です。その院長が全幅の信頼をおいているという、リハビリの先生は神の手の持ち主でした。
大塚は、通うには少し遠いけど、この際だから腰痛の持病を含めて全部治していただこうと思います。

…で、初日の今日あたりはフラフラしないで、真っ直ぐウチに帰ればよさそうなものだけれど、
大塚駅で “ 都電 ” を見たら乗りたくなって。
 
【甘泉園公園】
早稲田駅に貼ってあった地図で、公園を見つけました。元々、清水家の下屋敷にあった回遊式庭園が、とても綺麗に保存管理されています。屋敷にあった湧水がお茶に適していたことから「甘泉園」という名称がついたのだそうです。
※ 下の写真をクリックすると、LiteBoxの大写真が見られます。
日本庭園入口(新目白通り側)
竹垣が、綺麗に整えられてる。
これだけ広い池があっても蚊が一匹もいない。
ボウフラ対策とかしてるんでしょうか。
松も紅葉もきちんと剪定されてる。
本当に武家屋敷にタイムスリップしたみたい。
新目白通り口から公園の端まで歩くと、フェンスに突き当たります。見降ろすと、かなり高低差があって、下に環状4号線が見えます。 環状4号線から、左の場所を見上げると、こんな感じ。凄い高さの盛り土になっているのよね。
この踏み石の先に階段があって、
環状4号線に降りられるようです。
庭園内は、下草まで綺麗に整えられています。

出入り口に、こんな看板が
ありました。

『へびを見つけても、
 刺激しないでください。
 毒はありませんが、噛まれ
 ることがあります。』

ワイルドな公園よね。
残念ながら、へびには遭遇できませんでした。

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