山の上ホテルがあった場所

  • 2014.05.30 Friday
  • 12:00
山の上ホテルについて、まだまだ語りたい。
今回はホテルの建っている場所についてです。
以前も、ホテルがあった場所の古地図を楽しんだけど、
明治時代にはここは、小松宮邸だったんです。

『市郡變稱東亰全圖』1891年 ( 明治24年 )
小松宮 ( こまつのみや ) は、明治初期に、伏見宮邦家親王の第8王子の彰仁 ( あきひと ) 親王によって創設された宮家。
お父さんの 伏見宮邦家親王 は子だくさんで、皇籍離脱した旧皇族11宮家は全てこの人と血がつながっているらしい。
王子17人、王女15人のお父さんだったんだから。

宮家の継承は複雑で、跡取りがいない宮家を違う宮家の子が継承したり、猶子という親子関係を結んだりする。
猶子は養子と違って性が変わらないんだよね。
調べている内に、誰が誰の子だかわからなくなっちゃうくらい混乱するんだけど、結構好きなの こういう調べごと。

実はお父さんの小松宮彰仁親王が結構面白くて脱線しそうになってます。
伏見宮邦家親王は、王子だけでも17人いるんだから、その分エピソードも豊富。
鎌倉のある華頂宮邸も、邦家親王の第14王子-貞愛親王 ( さだなる ) の第1王子-博恭王 ( ひろやす ) の第3王子-華頂博信 ( ひろのぶ ) さんが造らせた洋館だったんです。


話を小松宮に戻さなくては。。。
小松宮彰仁 ( あきひと ) 親王 は、弘化3年1月16日(1846年2月11日)に生れて、明治36年 (1903年)に亡くなっています。ということは、古地図にある小松宮邸の主はこの方だったんでしょうね。
でも彰仁親王には子供がいなくて、腹違いの弟-東伏見宮依仁親王 ( お父さんの第17王子 ) を養子に迎えるんだけど、彰仁親王とそりが合わなくてね、彰仁親王が継承を希望していなかったもんだから、依仁親王は継嗣を止めて東伏見宮を創設することになったの。

そうして小松宮は彰仁親王一代で断絶していたけど、彰仁親王のすぐ下の北白川宮能久親王 ( 母親は彰仁親王と同じ ) の第4王子-輝久王(てるひさおう)が明治43年(1910年)7月20日に臣籍降下し、小松輝久侯爵となって小松宮の祭祀を継承したんだそうです。

写真出典:wikipedia

「古地図見るのは面白いけど、小松宮邸の写真はないかなあ」
ありました。ありました。
図書館で借りて来た大きな本。

『明治・大正・昭和 東京写真大集成』
あんまり重いから目方計ってみた、2.6kg ありました。(笑)


この本の中に、神田駿河台にあるニコライ堂の建設中に撮ったパノラマ写真が載っててね。
13枚ある写真の1枚に小松宮邸が写ってました。

拡大したのがこれ。

凄い洋館だなあ。


小松宮の敷地がいつ人の手 ( 明治大学とか佐藤さんとか ) に渡ったかについては、
調べがついてないけれど、小松宮は断絶してたワケだし、
昭和になって天皇家と秩父・高松・三笠の直宮家を除く傍系11宮家が皇籍を離脱したでしょう?
駿河台の広大な敷地は相続はされなかったのではないかしら。

ところが。。
『山の上ホテルの流儀』 p.121に、こんな記述を発見。
昭和三十二年 (1957)、本館の目の前の土地を 小松さんという方から譲り受け、客室がわずか六室、式場、美容院というかたちで「山の上ホテル別館」として営業したのですが、昭和四十五年 (1970) にこの建物を取り壊して客室四十という新館として建設しました。


1957年といえば、 小松家の継承者 は、小松輝久 (1888〜1970) さんか、その御子息-小松彰久 (1919〜1990) さんの時代になっていたでしょうが、本に出て来る“小松さん”とは関係ないのかしらねえ。
ううぅ、まだまだ興味は尽きません。
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