芥川龍之介 『酒蟲』

  • 2012.10.04 Thursday
  • 12:39
【あらすじ】
大酒飲みだが、酔うことのない大富豪 劉大成のもとに、近頃評判になっている蛮僧がやってくる。蛮僧は、医療も加えれば、房術も施すと噂になっている男で、劉が酒虫による奇病に罹っていると言う。酒を飲んでも酔わないのは、腹の中に酒虫がいて、それを追い出さないと病は治らないと言うのである。

劉が酒虫の退治を頼むと、蛮僧は劉の手足を縛り、炎天下の屋外に転がした。そして劉の頭の上には酒壺を置いた。
しばらくすると劉は酒が飲みたくなるが、縛られているため動けずにいる。すると喉の奥から虫が飛び出し、酒壺に飛び込んだ。虫は10センチほどの赤い肉の塊で、山椒魚に似た姿である。酒の中で泳ぎはじめたその虫は、どうやら酒を飲んでいるようである。

それからというもの、劉は酒の臭いを嗅ぐのも嫌いなり、一適も飲めなくなった。
劉は次第に痩せ衰え、そして貧乏になってしまった。

【酒虫とは…】
酒虫を吐いて以来、何故、劉の健康が衰えたのか、何故、家産が傾いたのか。

芥川龍之介は「酒虫と劉のその後の零落との因果関係について、人々の口に色々な説がのぼった」とし、その内の代表的な三つの答え(下記)を記していますが、「どれが最もよく的を得ているかは、わからない。」と結び、
読者にその判断を委ねています。

  第一の答
酒虫は、劉の福であって、劉の病ではない。
たまたま暗愚の蛮僧に遭った為に、この天与の福を失うようになったのである。
  第二の答
酒虫は、劉の病であって、劉の福ではない。
もし酒虫を除かなかったら、劉は死んだに相違なく、健康を害したり、家産が傾くくらいのことは、むしろ幸福というべきである。
  第三の答
酒虫は、劉の病でもなければ、劉の福でもない。
劉は、昔から酒ばかり飲んでいた。劉の一生から酒を除けば、後には何も残らない。そう考えると、劉は即ち酒虫、酒虫即ち劉なのであり、酒虫を除去したのは自らを殺したも同然である。つまり、酒が飲めなくなった日から、劉は劉ではなくなり、昔日の劉の健康なり家産なりが、失われるのも、当然な話であろう。

【聊斎志異−りょうさいしい】
『酒蟲(しゅちゅう)』は、中国の清代に伝わった怪奇な話を聊斎(蒲松齢)がまとめた『聊斎志異』という短編小説の中のひとつを、芥川龍之介が翻案したものです。

酒虫は、酒の精であり、体内に棲むと人を酔うことのない大酒のみにし、また水を良酒に変えるという言い伝えもあるようで、『聊斎志異』には、蛮僧は、劉の謝礼を断り、代わりに虫を譲り受けたと書かれているそうです。
そうなると、蛮僧が劉の体内から酒虫を追い出したのは、酒虫を使って良酒を作ることが目的だったのではないかということになり、芥川さんが末尾に示した三つの答えの内、第一の答えにベクトルが向いてしまいます。

芥川さんが自身の翻案に、“ 蛮僧が、謝礼の代りに虫を譲り受けた話 ” を割愛したのは、読者が自由に答えを選択できるように、と考えたからではないでしょうか。

文章のボリュームからいって「芥川さん自身は、第三の答えの支持者ではなかったのか。」と思いました。

でも、第三の答えを、よく考えると…。
“ 劉すなわ酒虫、酒虫すなわち劉 ”ということなら、劉同様大酒のみのワタシもMOURIも、酒虫ということになります。我が家は、二匹の酒虫がいるということになるのですよね。

芥川龍之介 『虱』

  • 2012.09.26 Wednesday
  • 19:45
【あらすじ】
長州征伐に向う船上での話。
虱に悩まされる武士たちだが、森という武士が、虱を集めて “ 飼う ” と言い出す。虱が体にたかっていれば、痒いから掻く、掻くから温まる、温まるから眠くなる、眠くなれば痒いのも気にならない、というのだ。それから森を真似して、虱を飼う連中も増えてきた。

しかし、いつの世にも反対意見があるもので、中でも、変わり者の井上は、虱を見れば喰ってしまう。さすがに井上の真似をして虱を食う人間は、ひとりもいないが、森に対する反対から井上に加勢する人間は、かなりいる。

こういう行きがかりで、森派と井上派との間に、時折口論が持ち上がる。しまいには刃傷沙汰さへ起こるようになっていた。
船の上で虱の為に、刃傷沙汰を引き起こしている間も、五百石積の金毘羅船だけは、まるでそんなことに頓着しないように、遥々として長州征伐の途に上るべく、西へ西へと走って行った。

【えぐいが、いとしい】
虱を飼うだの、喰うだのと、流石にえぐい話に、引いてしまいパスしようかと思った。
あらすじだけでもまとめてみようと読み返してみたら、やはり芥川さんのテンポの良さに魅了された。

長州征伐に向う武士たちが、窮屈で不衛生な船上で次第にストレスが溜まっていく様子。
虱ごときで、口角泡を飛ばす議論を始め、しまいには刃傷沙汰になる様が、シャープな文体で面白く描かれている。討伐前の血気盛んな男たちの様子が目に見えるようで、何だかとてもいとしく思った。

余談。。
最近、芥川龍之介と里見と(たまに有川浩をはさむ(笑))を交互に読んでいたら具合が悪くなった。両者の文脈やテンポが両極端だからかも知れない。里見作品を続けて読む際には全く気にならなかった、というよりも、そのくどいように重ねていく長文が好きだったはずなのに、何故かもどかしく感じて頭に入ってこないのである。

芥川さんはテンポよく武家物を、里見さんは、長文を武器に商人や芸人を描いた作品が似合うような気がする。

芥川龍之介 『父』

  • 2012.09.25 Tuesday
  • 10:29
なんとも切ない短篇です。

【あらすじ】
主人公(作者)が、中学4年の修学旅行の時の話です。
能勢という人を笑わせるのが得意な同級生が、集合場所で、通行人の特徴を捉えて辛らつなあだ名を付けるのに、同級生はウケまくっています。その時、体裁のあがらない風貌の男を見つけたひとりが「おい、あいつはどうだい」と、適当な形容を能勢にせがみます。実は男性は能勢の父親で、それを知っていたのは主人公だけでした。
主人公が「あれは能勢のファザァだぜ。」と言おうとした瞬間、能勢は「あいつかい、あいつはロンドン乞食さ」と言いました。

【わたしが子どもだったころ−姜尚中】
この短篇を読んで、『わたしが子どもだったころ』で姜尚中さんが語られたあるエピソードを思い出しました。
姜尚中さんは幼少期、永野鉄男という日本名で育ちました。家は、廃品回収業をしていました。鉄男少年は、その家業や家人の身なりを、恥ずかしく感じていました。
ある日友だちと遊んでいると、家業を手伝うオジサンが声をかけてきました。鉄男少年は、そのオジサンを無視し、他人のふりをしてしまいました。

番組では、姜さんが、その当時の様子を振り返り語られました。オジサンの淋しそうな後姿が瞼に焼きつき、複雑な思いと共に、心の澱としてずっと忘れられないと。

学校に通うようになると、家とは別の世界が開けます。友だちに「格好の悪い姿を見せたくない」というのは、誰でも思うことでしょう。大人になれば「なんで、あんなことが恥ずかしかったのだろう」と思うことが、当時の自分にとっては一大事だったこともあるでしょう。
大好きなオジサンを傷つけてしまった鉄男少年を、ひとごととは思えませんでした。

『父』には「中学の四年生には、その時の能勢の心もちを推測する明(めい)がない。」と書かれていますが、能勢少年のみならず、作者にとっても、心にも重く残る出来事だったのだと思います。

芥川龍之介 『鼻』

  • 2012.09.09 Sunday
  • 17:06
禪智内供の鼻と云へば、池の尾でも知らない者はない。長さは五六寸あって、上唇の上から顎の下まで下がってゐる。形は元も先も同じやうに太い。云はゞ、細長い腸詰めのやうな物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下がってゐるのである。
で始まる『鼻』は、大正5年(1916)2月15日発行の『新思潮』創刊号に「芥川龍之介」の署名で掲載されました。

第四次「新思潮」創刊のメンバー

左から久米正雄、松岡譲、芥川龍之介、成瀬正一
※ 京都帝国大学に進学した菊池寛は写っていない。

【漱石の励まし】
大正4年(1915)11月、芥川は意欲作『羅生門』を「帝国文学」に発表しますが不評で自信を失いかけていたそうです。一方、久米正雄は戯曲『牛乳屋の兄弟』が演劇人の目に留まり、一躍新進の戯曲化として注目されるようになっていました。
そんな中、発表した『鼻』で、芥川は夏目漱石から以下のような手紙を貰います。意気消沈していた芥川は漱石の激賞により、作家として生きる決心が固まりました。
夏目漱石から芥川龍之介あて書簡(部分)
大正5(1916)2月19日 日本近代文学館蔵

背景 新思潮のあなたのものと久米君のものと成瀬君のものを読んで見ました
あなたのものは大変面白いと思ひます落ち着きがあって巫山戯(ふざけ)てゐなくつて
自然其儘の可笑味がおつとり出てゐる所に上品な趣があります夫(そ)れから材料が非常に新しいのが眼につきます文章が要領を得て能(よ)く整つてゐます敬服しました、ああいうものわ是から二三十並べて御覧なさい文壇で類のない作家になれます(後略)
【それぞれの思い】
久米正雄、『「鼻」と芥川龍之介』
「僕等の作品を黙って活字にして(夏目)先生に送ったら見てくれて、我々の価値を知ってくれるだらう。従って世間でも僕らの価値を分ってくれる者は分ってくれるだらう」

芥川龍之介、大正5年3月24日の恒藤恭宛の書簡
「「鼻」の曲折がnaturalでないと言う非難は当たっている。それは綿抜瓢一郎も指摘していた。重々尤に思っている。それから夏目先生が大変鼻をほめて、わざわざ手紙をくれた。大変恐縮した。成瀬は「夏目さんがあれをそんなにほめるかなあ」と言って不思議がっている。あれをほめて以来成瀬の眼には夏目先生が前よりもえらくなく見えるらしい。」

芥川龍之介、「漱石先生のお褒めの手紙」より
「同人は、久米、菊池、松岡、成瀬の諸君と僕の五人だけだった。その時、初号に『鼻』と云ふ小説を書いた、さうしたら夏目先生が大変手紙で褒めて呉れた、褒められて見ると私の小説も中々うまいやうな気がしだした。第一僕は、それまでには何でも楽に書けたと云ふ事はない、おまけに書きあがったものを見ると、普通の雑誌に出る小説とはあまり似ていないやうだから、是が小説で通るかどうか、甚だ自信がなかったからである。

久米正雄、「風と月と」より
「僕、昨日、夏目先生から、突然手紙を頂いたんでね。-かう云ふ手紙なんだが、一つ、君にも読んで貰ひたいんだ。」(略)私は、何かハッと息詰る思ひで、それを受取った。−さう云へば何だか、彼の話つて云ふのも、ひょっとするとそんな事ではないかと、内心、半ば羨み、半ば怖れて考へてゐたやうな気がした。矢つ張り、さうだったか!矢つ張り芥川に!夏目先生が直接、手紙を。…
 私は、突如として内心に沸き上つた、羨望と嫉妬に手が震えるのをやつと堪へ乍ら、中の手紙を取り出した。」
【ともに作家を目指して】
「新思潮」の同人たちは、いずれ劣らず文学に強い志をもち、競い合うように作品を発表していきました。特に夏目漱石を敬愛し門下生だった芥川、久米、松岡は、世間の評価とは別に、漱石からの手紙に一騎一憂しました。

目をかけられた者は、臆面もなく喜び、自慢します。他の者は、羨望と嫉妬を隠しませんでした。
なんだかここまで純粋な様子を見ると、とても微笑ましいですね。

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